さんぬる日、そは余が大学生なりし日々、毎週土曜日后刻、
日本放送協会大阪放送局においては聴取者の請求に応じ
たる音曲盤演奏番組を放送し居りたり。余、これを毎週の
楽しみとしたり。
或る秋の日、番組中にて放送告知人が告げたるに、次週の
放送においては一般大衆への公開にて放送せし予定なりと。
その放送においては賓客として、やまがたすみこなる歌姫を
招かんとせし心算なりと。
観覧を希望せし者は当日、大阪放送局ラヂオ放送大広間に
参集されたしと、彼の放送告知人は告げたり。
次なる土曜日、余、放送開始の遥かなる以前より件のラヂオ
放送大広間に参じたりし事、言うに及ばず。中に入りたれば、
未だ他の観覧者の姿なく、ただ奥に鎮座せし西洋鍵盤琴に
向いて妙なる音曲を奏でたる乙女の姿を認めたるのみ。
その時、余の胸は「きゅん」とぞ高鳴りぬ。これぞ、まごうかた
なき天使の如き歌姫・やまがたすみこ嬢の御姿なり。
この佳き日の放送番組にて披露せんと、すみこ姫の稽古せし
様に、余、しばし聴き惚れたり。やがて鍵盤琴を弾き終えたる
すみこ姫に、余は控え目なる拍手を送りたり。
放送大広間には余人の姿なく、余は貴女の歌を愛好するもの
なり、真心こめて応援せしと告げたり。
すみこ姫の醸し出す雰囲気には、「芸能人」たる臭みなどこれ
なく、余の語りかけに頬を桜色に染め、うつむきて答える様は
愛おしき事この上なし。
余は、出来得ればすみこ姫の署名を得んものと持参せし新発売
の大音盤第五集「オルゴヲル」を今まさに取り出さんとせし時、マ
ネィヂャアなる姫の事務取扱人が現れ、夢の如き一時は終わりぬ。
署名を貰えぬままに終りしは、今に至るも痛恨の極みなり。
やがて番組は始まりて、「愛しい貴方に・・・」に始まりし、すみこ
姫の弾き語りは進みぬ。
夢幻のうちに放送は終り、黄昏の放送局前に佇む余に声を掛け
たりし若者の一団あり。聞けば、京都大学にありし学園祭実行委
員なりと。来月なる学園祭にて、やまがたすみこ姫の歌と鍵盤琴
の演奏会を催さんと計画せしところなれば、余に入場切符をば購
うべしと勧誘せしものなり。
是非もなし。
霜月、京都大学時計台ホォルは感動の空間と化したり。
然れども、姫と余の二人、互いに頬染め、控え目に言の葉を紡ぎ
し、あの日の想い出は、余の心の宝物なり。

 

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