寿 美 子 と 弘 美

 1970年代、僕達はやまがたすみこに夢中だった。
「みんなだらしないんだから。今度は彼女、連れてきてよ」と言いながらも、ピアノに向うスミは、
やっぱり僕らの恋人だった。
 でもその頃、テレビの中で、あるいはステージで、ピアノに向かいながら愛くるしい笑顔と甘やか
な笑顔で僕等を包み込んでくれた太田裕美。 彼女に心を奪われたのも本当の事だった。
「みんな恋人いないの?今度は彼女、連れてきてよ」と語りかけながら・・・。


やまがたすみこの軌跡 太田裕美の軌跡
1956
10月11日、山縣寿美子、東京都北区王子
山縣家長女として誕生。
1961
ヴァイオリンのおけいこを始めるが、挫折。
1962
春、ピアノのレッスンを始める。夢中になり
すぎたせいか、幼稚園入園は5月に遅れた。
(笑)
1963
北区立柳田小学校入学。音楽だけは得意。
1964
父親の仕事の都合で埼玉県草加市に転居。
ピアノのレッスンが中断する。
1967
この頃、ピアノのレッスンを再開。
1968
NHK ラジオに出演、見事鐘を鳴らす。寿美
子、メディアデビュー(笑)。
1969
フジTV「ちぃびっこのど自慢」で24点。満点
ならず。 あと1点・・・(涙)
ピアノの先生に勧められ、 上野学園中学声
楽科に進学。

1972
上野学園高校へ進級。
5月、TBS「家族そろって歌合戦」に出場。
オリジナル曲「夏になったら」で優勝を飾る。
これをきっかけに、日本コロムビアよりスカ
ウトを受ける。
1973
2月、オリジナル曲「風に吹かれて行こう」
で、「やまがたすみこ」としてデビュー。
3月、ファーストアルバム「風・空・そして愛」
発売。
8月、TBSドラマ「おさななじみ」主題歌「あ
の日のことは」発売。同ドラマにも準レギュ
ラー出演した。
※この頃、上野学園からの退学を余儀なく
される。
NHK教育テレビ「うたってゴー」にレギュラー
出演。小学生の女の子から、『わたしは、すみ
ちゃんをそんけいしています。すみちゃんは、
とってもうたがじょうずですね。まるで歌手
たい
ですね」というファンレターを受け取る。
1975
フォークシンガーとしてのスミの総決算とも
いえるアルバム第5集「オルゴール」を発表。
楽譜が付いたアルバムとしては、これが最後
となった。
この年の秋、NHK 大阪放送局での公開放送
でスミとマスター、運命の出会い。(・・・とはい
え、客観的に言って、それほどのもんでもない
かもない、かも知れない^^;)
1977
松本隆プロデュース・鈴木茂サウンド・クリエイ
トによるアルバム「FLYING 」発表。
それまでのスミの音楽世界から大きく踏み出
した音作り、歌唱法に違和感を感じるファンも
多かったが、現在では評価が高まっている。
1978
コロムビアからの最後のアルバム「すみこ・ふ
ぁいるVol.2」を発表。そして、静かにメインス
テージを去る。
1979
この年、アレンジャーの井上鑑氏と結婚。

※結婚後も、「ゆき」「南の虹のルーシー」
等のアニメ主題歌の他、日本生命や花王他
のCMソングやスタジオコーラスの仕事等に
みごとな職人芸を見せる。
1992
井上鑑氏とともに、The Voice Prejectとして
の活動を人知れず(爆)再開。
1997
あかちゃんのためのうたの絵本「いないいない
ばあ」のCD化製作に作曲・ボーカルで参加。
1998
コーラス・アンサンブルの新たな可能性を追求
したアルバム「聲SHOW」を発表。
2000
23年ぶりのソロライブ、遂に開催。
TAMATEBAKOヘアーで登場(笑)。
2001
5月、2nd.ソロライブ開催。新曲のレコーディ
ングが進行中と発表。
8月、かつてのアルバムのCD復刻プロジェク
トが、遂に始動!
12月、アルバム「FLYING 」の復刻が決定
した。
2003
2月、デビュー30周年を迎える。
4月、「エメラルドシャワー」以来、四半世紀
ぶりのNewアルバム「歌が降りてくる」発売。
1955
1月20日、太田弘美、東京都荒川区に太田
家長女
として誕生。自宅近くの荒川を海と思
い込んで育つ。(笑)
1958
父親の仕事の都合で埼玉県春日部市に転居。
1960
近所に幼稚園がなく、小学校入学の半年前に
やっと入園。
この頃、ピアノの個人レッスンを受け始める。
1961
春日部市立武里小学校入学。 音楽は得意
だった。読書好きの為か、国語の成績も優秀。
但し、体育は全然ダメ。(笑)
1963
ピアノの家庭教師を迎える。本格的なレッスン
を始めた。
1967
ピアノの先生に勧められ、 上野学園中学声
楽科に進学。

※この頃、グループサウンズ、なかんずくザ・
タイガースにハマる。ジュリー命!
1969
友達の代わりに受験(ありがちなパターン・笑)
した、スクールメイツに合格。渡辺プロの東京
音楽学院に入る。但し、上野学園にはナイショ。
(バレたらしかられる・・・)
1970
上野学園高校へ進級。
スクールメイツとの二足の草鞋を履き続ける。
1972
11月、NHK 「ヤング101」のオーディションを
受験。「子犬のワルツ」を弾き語り、見事合格。
「ステージ101」への出演が決まる。
1973
1月、太田弘美、「ステージ101」レギュラーと
なる。
※「101」メンバー・斎藤明彦氏の助言により、
芸名を「太田裕美」とする。
3月、上野学園高校卒業。
1974
3月、「ステージ101」番組終了。
ライブハウス「銀座メイツ」に、ピアノの弾き語り
スタイルで出演。
※太田弘氏、弘美(裕美)のデビューを前に自
宅を新築。「娘の稼ぎで家を建てたと言われち
ゃかなわんからな」
・・・まだ売れるかどうかも判らんのに、なんちゅ
ーファンキーなオヤジや^^;)
※原宿「ペニーレイン」等に通うようになり、吉田
拓郎らと親交を結び、ついでにウワバミ娘と化す。
・・・いや、順序が逆か?(爆)
11月、「雨だれ」でデビュー。
1975
松本隆プロデュースによるファーストアルバム
「まごころ」発表。
年末、「木綿のハンカチーフ」発表。J-POP史
上に燦然と輝くスーパー・ヒットとなる。
1981
アルバム「ごきげんいかが」発表。アレンジャー
井上鑑氏
との出会い。
1982
渡米。
帰国後の1983〜1984 にかけて発表したFar
East/I do, You do/TAMATEBAKOという3枚の
アルバム・いわゆる「悪魔の3部作」は、それま
での太田裕美の音楽世界から大きく踏み出し
た音作り、歌唱法に違和感を感じるファンも多
かったが、現在は評価が高まっている。
1992
2枚組CD・わたしが選んだ子どもたちのうた
「どんじゃらほい」を発表。
1998
松本隆・筒美京平の「魂のピリオド」で復活。
1999
デビュー25周年記念CD-box「太田裕美の
軌跡」発表。
2001
過去のアナログ音源の総てが、CD化達成。



 うーん、こうやって二人の歴史を簡単に振り返ってみても、怖いくらいにかぶってますねェ。
あと、年表に出てこない二人の共通点といったら、

1.舌が短い。
2.八重歯が可愛い。
3.ギタリスト・松宮幹彦氏を奪い合い(笑)。
4.ファンはモテない野郎ばっかり。
5.しかし、熱心なファンから永年にわたって支えられている。

などが代表的なものでしょうか。
 スミの実家が昭和49年春、裕美ちゃんの実家も平成7年に火災に遭い、結局全焼する
という悲しい事件がありました・・・。こんな一致点はあって欲しくなかった・・・。

 ただ、似てるようで似てない部分もありますね。それは、裕美ちゃんの声。彼女の声
は、本質的にはハスキーだという事。
 可愛い声質なんで騙されてしまいがちですが、裏に隠れたハスキー・ヴォイスのおかげ
で歌声に深みが出ていると思うんです。

 ・・・というこの文章、太田裕美白書の153ページを見る前から感じていた事です。
信じて。信じられなくても信じて! だって、裕美ちゃんが隠れハスキーだって事は、
彼女のアルバムを聴き込んでりゃ、誰でも判ることなんだからぁ!

    ☆★太田裕美白書の153ページ★☆
   《太田裕美自身が語る「完全版」全作品ガイド》というページで、
   「私の声はよく『透き通った声』とか言われるんですけど、
   実はものすごくハスキー。特に下の音域はそうなんですよ」
   と語っている部分。



飛鳥鑑節電仕様ライヴの翌日、2001年10月25日。
関東遠征という千載一遇のチャンスを生かすべく、私は上野から北千住連絡の地下鉄に
乗り込みました。そう、東武鉄道伊勢崎線に乗り込み、裕美ちゃんゆかりの春日部市・
武里駅と草加駅周辺を散策するのです。
青いソーダの波のセンチメンタル・ジャーニー。是非、御覧下さい。

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    ☆★私のハンドルネーム★☆
   これは元々、太田裕美オフィシャルサイトの掲示板に参加する時に
   考えたものです。 大半の裕美ファンが後ずさったと言われる
   伝説のアルバム、"I do, You do"に収録された「ガラスの週末」
   (作詞:銀色夏生)の一節から採ったものです。
   一般的には、殆ど知られていない曲です。未だCD化されておらず、
   中古レコードも入手困難かと思われます。
   ・・・だったのですが、2001年5月23日、遂にCD化されました。
   ソニーレコードSRCL5091です。時代は追いつきました! お薦めです。
   ♪いつだって どこでも行ける 青いソーダの波に似てる・・・
   私のお気に入りのフレーズです。

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